【台湾・桃園神社】世界で唯一?海外にほぼ完全な状態で残る日本統治時代の立派な神社

※ 2022年8月更新

明けましておめでとうございます!

昨年の年明けは龍山寺にお参りにいったのですが、今年は台湾に現存する、唯一ほぼ完全な状態で保存されている神社に初詣に行ってみました。

訪れたのは桃園神社(桃園忠烈祠と神社文化園區)

「忠烈祠(zhōng liè cí)」とは、兵士・公務により殉職された人を祀る場所のことで、日本の敗戦後は忠烈祠として存在しています。

想像以上に良き雰囲気の立派な神社で感動してしまいました。

桃園神社とは

桃園神社は、日本統治時代の1938年(昭和13年)に建てられた神社。

桃園神社に置かれていた石碑。昭和十三年(1938年)の文字が見えます。

第二次世界大戦後、日本が台湾を撤退し国民政府が来ると、神社のほとんどが破壊または改築されます。

桃園神社は破壊されず忠烈祠(兵士、公務により殉職された人を祀る場所)へと改められ、残されることに。

しかし1972年、日本・台湾の国交断絶により国民党政府は各地の神社排除を発布。1985年に桃園神社の解体計画が発表されます。

危機に陥った桃園神社ですが、周辺住民の方々による反対運動、また文化人による「建築様式は古代中国の唐様式・日本様式・台湾の現代様式の融合であり、中国伝統建築様式の保存ともいえる」との働きにより取り壊しを免れたそうです。

その後再建工事を経て、1994年に国家三級古跡に指定。2017年には「桃園忠烈祠と神社文化園區」とされ、歴史的遺産の保存・活用計画がスタート。

何度かの修復工事を経て2020年7月より全面公開されています。

参照:
〇 桃園神社 - Wikipedia
【桃園忠烈祠 - 文化部文化資產局】
〇  桃園神社パンフレット

台湾に神社が多く建てられた歴史的背景

台湾には日本統治時代に建てられた神社の名残がいくつもあります。当時、神社は大小含めて200前後もあったそう!

台湾で建てられた神社には「民間信仰」と「国家神道」の二つの系統があったと言われています。

民間信仰として初めて建てられたのは台中稲荷社(1896年)。

国家神道(明治維新後、国民をまとめ上げるために天皇制国家への忠誠を命じ制度化されたもの)として初めて建てられた官幣大社は台湾神社(1901年)。日本統治時代、最も重要とされた神社です。

圓山ホテルの場所に建っていました▽

台湾神社は1895年(明治28年)、台湾領有に伴い上陸し、抗日勢力の平定にあたった北白川能久親王が病死したことから創建されます。

皇族が日本以外の地で逝去したのは初めてのこと。台湾の守護神として北白川能久親王が祭られました。

その後、日本人の人口増加を目的として、また主要都市の守護神社として、台湾全土の主だった地域で神社が建てられます。

日本化を浸透させるのが狙いだったと思われます。

その後神社の造営は落ち着くも、関東軍が満州国を建国し(1932年)国際連盟を脱退してから(1933年)日本の情勢が厳しくなります。

統治下の台湾においても精神面の教化を強めるように。そうして総督府が敬神崇祖精神強化にもとづく「一街庄一社」政策を打ち出します。

このような理由で1930年代に建てられた神社が多いとのこと。信仰よりも政治的な意味合いが強かったわけですね…。

参考:
〇 台湾の神社 - Wikipedia
〇 台湾で神社が多数造営されたわけ - nippon.com
〇 東亜同文書院生の台湾旅行にみる神社の位置付け - 加納寛(PDF)

アクセス


桃園国際空港のある桃園地区にあります。

台北市内から
一度目は、台鐵(台鉄)→タクシー
二度目は、中距離バス→タクシー
で行ってきました。

台鐵(台鉄)→タクシーの場合

最寄り駅は台鐵の桃園駅(桃園火車站)。MRTの桃園空港駅、高鐵(新幹線)の桃園駅とはそれぞれ場所が全く違うので要注意です。

今回は莒光號(急行列車/特急より停車駅が多い)で行きました▽
お顔が渋くていかつい車体がかっこいい。プラレールのように先頭車が客車を引っ張っているタイプ。そのため客車は静かです。

日曜の昼前、行きは座席指定せず乗りましたが空いていて座れました。

帰りは夕方だったので満席で立ちの人も多かったです。夫が「台鐵e訂通」という台鉄の公式アプリで指定席を取っておいてくれたので座って帰ってこれました。

往復とも莒光號で所要時間は、
◯ 行き(台北駅→桃園火車站):36分
◯ 帰り(桃園火車站→台北駅):45分

料金は51元でした(安っ!)。

改札を出ると東南アジア系の人がたっくさんいてビックリ。「工場多いからね〜」と夫。工場付近の方が安くて本格的なタイ料理店などがあるらしい(羨ましい)。

とりあえずおなかが空いていたので、駅前のはま寿司で腹ごしらえ。台北市内と違って広くて空いていてとても快適だった。

その後、駅裏のこのタクシースタンドから乗車▽

桃園神社のマップによるとバスもいくつかあって、
101バスは無料&目の前で降りれるようです。

向かうタクシーからの眺め▽
こんな銅像の前(虎頭山公園の入り口)を通り過ぎて、

1〜2分後、桃園神社の駐車場に到着。
駅から神社までは約3kmで、タクシーで10分ほど、150元でした。

中距離バスの場合

二度目は行天宮から中距離バス「9069」に乗ってみました。

約50分で到着。乗り換えがない分楽だった。

「桃園榮民醫院」で降りてそこから徒歩5分強。バス停を降りてすぐセブンがあったので休憩してか、向かいました。

暑い日はタクシーがいいかも!

写真多めの桃園神社見学。立派すぎてビックリ

ガイドマップ▽
こんな立派な神社とは知らずに行ったのでビックリ!

パーキングの隣にあったトイレ▽
こちらは1986年の修繕時に作られたもの。

鳥居前のお庭▽
樹齢何年!?な大木に混ざって植樹された小さな桜の木も(^^)

ミニ灯籠のデザインが素敵。

庭の奥には管理室▽
管理人さんの宿舎だったそう。現在は文創商品販売所とありましたが、閉まっていて中も空っぽでした。

ガラス越しに覗くと、畳や欄間のある素敵な和室でした。

正面の鳥居▽

当時3つあった鳥居が現在はこの1つに。上部が壊れていますが、忠烈祠に改まった際に手を加えられたとのこと。

手水舎▽
緑青の銅瓦、屋根内側の格子がとてもきれいな手水舎。

神社の建物全体に細かな格子が多く使われていて、それがとにかく素敵でした。

社務所。
なんて趣のある社務所、、昔、近所の神社で巫女さんをしていたんですが、社務所は普通の事務所のような建物でした。こんな社務所素敵すぎる。

現在はここが観光サービスセンターで、日本語のパンフレットもここに置いてありました。

銅馬▽
銅馬の後ろには立派なヤシの木があり、
神社らしくなくておもしろい。

狛犬(高麗犬)と中門▽

中門には「國魂」と書かれた額が。
これは中華民国40年(1951年)と書かれているので日本のものではありませんね。国民党政府となった後、桃園県県長から贈られたもののようです。

拝殿(はいでん)▽
緑に囲まれ、人も少なく、静寂が漂う。

拝殿アップ▽
最高級台湾ヒノキで造られているそう。時の経過が木の味わい深さを引き立てています。

拝殿内▽

二度目の訪問時には拝殿内にディスプレイが設置されていました。字幕があるし日本人の方もお話されていて勉強になります。

拝殿の端にはなんと菊の紋章が▽
銅馬にあった菊の紋章は破壊されたとありましたが、これは見逃されたのか、、?

奥に見えるのが本殿。これまたしっかりした造りでした。

こんなにも精巧かつ立派な神社建築が海外で見られるとは思わず、本当に驚きました。

戦争の負の遺産であるにもかかわらず、芸術・文化として柔軟に解釈し、残してくれた台湾には頭が上がりません。

施設情報

名前:桃園忠烈祠(táoyuán zhōng liè cí)と神社文化園區
住所:桃園市桃園區成功路三段200號
時間:9:00-17:00



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