基隆の歴史建築「基隆市政府・岸田呉服店・海港大樓・林開郡洋樓」をサクッと見学


かつて貿易港として非常に栄えた「基隆(Jīlóng/キールン)」(現在も貿易港として使われていますが圧倒的に高雄が主港)。

日本統治時代には大型船が停泊できるよう海底の土砂や岩礁を除き整備したこと、また同じ頃に開通した台湾の南北を渡す鉄道の起点とされ、とても賑わったそうです。

また、台湾北部の玄関口であるため、台湾に渡ってきた日本人の多くはここで上陸し、戦後もここから引き揚げたという、日本と馴染み深い場所。

今回は台湾の歴史建築を使用したスタバへ行ったのですが、▽
スタバの近所にいくつか日本統治時代の建物があったので合わせて見学してきました。

岸田総理大臣が自民党総裁となった際に台湾で話題となった「岸田呉服店」跡にも行ってみました。この辺りの歴史も深堀りしています!

基隆に行くときは傘が必須!

海からの季節風と山に囲まれる基隆は「雨の港」「雨の都」などとも呼ばれるらしく、冬場はよく雨が降ります(同方面の九份や十分もまた然り)。

初めて行ったときは10月頃で気持ちのいい天気でした。


1月に行った今回は一日中雨。台北は降っていなかったけど、基隆はずっとしとしと降っていました。

冬場に行かれる方は折りたたみ傘をお忘れなく!

(九份の天気のことを書いた記事はこちら▽)

① 基隆市政府

スタバ義14店の目の前にある「基隆市政府」▽

場所はココ▽

日本統治時代の1932年(昭和7年)に建てられた市役所です。

戦後は基隆市政府となり、現在も現役で使われている国家文化資産。

2010.5.8 基隆街屋・街景より画像をお借りしました)

建物の雰囲気もワンフロア増えただけでほとんど変わらず。今も変わらず当時の役割をこなしているのがすごいですよね。中には季節展示があり、見学できるそう。

② 岸田呉服店跡

第100代・101代内閣総理大臣となった岸田総理の祖先・岸田家がかつて営んだ「岸田呉服店」と「岸田喫茶部」跡がスタバから徒歩2分の場所にあります。

ココ▽

角の建物が岸田呉服店跡で、左隣の肌色の建物が岸田喫茶部跡。

岸田呉服店跡は現在1階がパン屋さん、2階はレストランとして使われています。

左奥の岸田喫茶部跡は今のところボロボロですが、岸田総理誕生によって観光名所化の予感がするし近いうちに修復されそうですよね。

2年前、基隆に行ったときに撮った街角マップにも「岸田呉服店」の文字がありました!▽

開業したのは岸田総理の曽祖父・岸田幾多郎さん。

幾多郎さんは日本統治時代が始まってすぐに基隆へ移り住み(しかも生後2ヶ月の赤ちゃんを連れて!)、呉服店・材木店を開きます。

その間、区画整理でお店は何度も移転したそうです。

幾太郎さんは4年で台湾を去ってしまうのですが(ご病気だったのではと言われてる)、その後も幾多郎さんのご兄弟がお店を引き継ぎます。

幾多郎さんの来台翌年に呼び寄せられていた弟、多一郎さんと光太郎さん。

幾多郎さんの帰国後は多一郎さんが呉服店を引き継ぎます。現在の土地に呉服店を建てたのも喫茶部をオープンしたのも多一郎さん。

「基隆銀座」と呼ばれるほどの一等地だったそうで、日本統治時代に発行された絵葉書にも登場しています▽

右側の建物が岸田呉服店!

他方、光太郎さんは材木店を引き継ぎます。1913年には、台湾総督府から花蓮の原野の売却を受け、岸田材木店の花蓮支店を設置。良木の伐採〜製材まで一貫して手掛けられるようになり、岸田材木店は台湾有数の材木商に成長したそうです。

花蓮で思い出したのが「桃園神社」。神社境内の映像で、使用されている最高級ヒノキは花蓮産との説明があったのです。有数の材木商だった岸田材木店から仕入れていたのでは?なんて考えたり。

多一郎さん・光太郎さんは、1922年の台湾の紳士録『南國之人士』に2人そろって名士として掲載されているそうな!

岸田家パワフルすぎませんか。

参考:

③ 海港大樓

岸田呉服店とは反対側の港に「海港大樓」という建物があります。

(前回近くで見たのですが写真を撮っておらず、今回は遠めにパシャリ)


こちらは1934年(昭和9年)に建てられた基隆税関合同庁舎。こちらも市政府と同じく国家文化資産となっています。

晴れの日、正面からだとだいぶ雰囲気違う▽
海港大樓 - wikiwandより画像をお借りしました)

1950年代に撮影された写真▽
海港大樓 - wikiwandより画像をお借りしました)

まだ周りに高い建物はなく、かなり目立っていますね。こちらも市政府同様、現役で税関庁舎として使われているというから驚き。

すぐ隣りにある「陽明海運」も国家文化資産に指定されているので一緒に見るのが◎
陽明海洋文化藝術館- 维基百科より画像をお借りしました)

写真奥に写るのが海港大樓です。

この建物の角が店の顔となっている曲線が美しい建築様式、台湾に多いですよね。大好き。

参照:
◯ 片倉佳史の台湾歴史紀行 第一回 港湾都市・基隆を訪ねる

④ 林開郡洋樓


港のすぐ近く、道の奥にポツンと見える、歴史建築。

基隆に行った人なら見たことがある人も多いのではないでしょうか。

場所はココ▽

建物名の「林開郡」は人の名前。鉱業で財を成した林さんが、日本統治時代の1931年(昭和6年)に建てたもの。

建物は、台湾で有名な画家・倪蔣懷さんがアトリエとして使用された後、台湾に駐留したアメリカ軍向けのバーとして使われたそうです。

現在は残念ながら目の前に高架橋があるせいで建物全体を見ることはできませんが、昔はこんな外観だったそうです▽
芒果日報--台灣史論--日治時期名建築,中據時代變鬼屋より画像をお借りしました)

立派な建物!よく見えないのが残念。

「聖保羅砲艇(The Sand Pebbles )」というアメリカ映画の中のワンシーンにも登場しています▽
芒果日報--台灣史論--日治時期名建築,中據時代變鬼屋より画像をお借りしました)

現在は使用されておらず廃墟となっており、また台北で過去に起きた火事から噂が飛躍して「基隆鬼屋(お化け屋敷)」と呼ばれています。

確かに外観もちょっとどんよりしてるしな…。早く修復してあげたらいいのに、林家の子孫が多いことから所有権の分割ができていないのだそうです。

市も歴史建造物保存に向けて呼びかけをしているみたいだし、早く素晴らしい建物が修復されることを願います。

以上、基隆で見られる歴史建築物についてでした!


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