台北のシンボル、台北101。
台北101近辺は、新光三越、微風、誠品などデパートが点在しています。またビジネスビル群も多く、洗練された雰囲気。
そのすぐ近くに周りの雰囲気とは一線を画す、平屋が軒を連ねる区画があります。
それが四四南村(台北眷村文物館)
国民政府時代の眷村(中国大陸から渡ってきた軍人等とその家族の生活場)の跡地なのですが、そのすぐ近くに地面に埋もれた屋根郡があるのです。
アクセス
MRTレッドライン(淡水信義線)台北101/世貿駅、2番出口から徒歩5分。
角を曲がって南側へ歩いていくとすぐ、緑に覆われた埋もる屋根と、その奥に古い建物が見えてきます。
真下からの写真も迫力あるけど、ここからだと全体がよく写り、空の青と草木の緑がいい感じ。
四四南村とは
台北に初めてできた眷村(juàncūn)。眷村とは、中国大陸から渡ってきた軍人や公務員等とその家族の生活場のこと。
1949年、国共内戦で中国から台湾へ逃れてきた国民政府。その後移住を余儀なくされた人々とその家族が急激に増え、居住場所を確保するためにできた集落だそうです。
参照:
眷村の多くは日本統治時代の建築物を利用したそうで、以前書いた西本願寺跡にあった眷村もその一つだったのだなと▽
忘れ去られていた日本統治時代のお寺跡「西本願寺(本願寺台湾別院跡地)」@ 西門
若者の街、買い物の街、賑やかな街、西門。 そんな西門に日本統治時代のお寺跡、 西本願寺跡地(淨土眞宗本願寺派本願寺臺灣別院蹟地) があります。 ほとんどの建物が焼失し、現在残るのは修復された鐘楼や会館などで史跡というより広場な雰囲気ですが、一部がお茶屋さんとなって...
軍需工場と日本陸軍倉庫
「四四南村」の名前の由来は、山東省青島から来た「聯勤第四十四兵工廠」という軍需工場勤務の人たちの居住区であったため。
この「四十四兵工廠」という名前の工場が今の台北101の場所に作り、その南側にできたことから四四南村に。他に西村、東村もあったそうです。
(話說四四南村より画像をお借りしました)
この地図、結構衝撃じゃないですか?台北101の区画一体が軍需工場だったなんて。
しかもしかもこの場所、元々は日本陸軍の倉庫だったそうです▽
(話說四四南村より画像をお借りしました)この地図は1945年にアメリカ軍により作成されたもの。この「四四兵工廠」と矢印で記されている場所が日本陸軍倉庫だった場所…!
四四南村には軍人ではなく、技術者の方々が暮らしていたそうです。
現在は資料館やカフェ・週末マーケットなどオシャレプレイスに
取り壊す計画もあった四四南村は歴史的建築物として4棟保存されることとなり、現在は、
◯ 台北眷村文物館(資料館)
◯ 信義公民會館
◯ 劇場
◯ 親子館(臺北市信義親子館/A館)
◯ ドリンクスタンド
◯ ベーグルカフェ・雑貨屋さん
などになっています。
週末にはオシャレマーケットも(^^)
(小布少爺さんより画像をお借りしました)時間は13:00-18:30まで。
で!この四四南村のすぐ横に明らかに地面に埋まっている屋根郡があるんです。
謎の屋根郡の正体は
次男の保育園がこの近くで、毎週バスで通る度、この少しだけ地面から顔を出している屋根が気になって。緑に覆われているため遠くから見ないと建物とは認識しづらく、単に小高い丘だと思う人も多いようです。
実はこの建物、防空壕なんだそうです。
参照:防空洞 - 話說四四南村
ただ調べても詳しい情報が出てこず、日本統治時代のものなのか、それとも国民政府以降に作られたものなのか、それさえも分からないのですが。
でも日本軍ならもっと分かりにくく作りそうな気もする。
内側は鉄筋コンクリートでできているそう。
全体が防空壕となるとかなり広いぞ。
(話說四四南村より画像をお借りしました)
扉①。
(話說四四南村より画像をお借りしました)
扉②。
いずれも閉まっていますが、ドア周りがちゃんと整備されているのが分かります。
もしかして、有事には使用されるのでしょうか…?
そんな有事は絶対来てほしくありませんが。
普段は屋根部分に腰掛けておしゃべりしているカップルや写真撮影している人たちを見かけます。
とてもユニークなので、近くに行かれる際には是非見てみてください!
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